ジュリアン・ラクリン リサイタル
先日は刺激的なヴェンゲーロフのモスクワコンサートを書きましたが、BSでさらに刺激的なジュリアン・ラクリンのリサイタルを見てしまいました。
ジュリアン・ラクリンはリトアニア出身のヴァイオリニストですが、僕との共通点は同じ肩当てを使っているというくらいで、その他は自分とは実にかけ離れた、対極ともいえる奏者です。
最初に演奏されたのはドヴォルザークの4つのロマンティックな小品。ラクリンの柔らかなタッチがこの曲の良さを引き出していました。
しかし真骨頂は次のグリーグのソナタ3番から。この曲は以前コンサート弾いてみようと思って練習したことがあるのですが、大変な曲です。何が大変かというと、エネルギーを曲に込めてもそれを解き放つことが難しいというか、イザイやヴィエニャフスキのようなヴァイオリニストが作曲した曲に比べて、自分が頑張った割には演奏効果がなかなか出しにくい曲です。おそらく自分で弾いて録音しても「なんと迫力のない・・」と思ったことでしょう。
しかしジュリアン・ラクリンは凄かった。冒頭から実に激しく荒々しく、底なしのパワーを感じました。どうやったらあそこまで気持ちを高ぶらせることが出来るのか、そしてそのエネルギーをきちんと音に出来るのか、僕には想像がつきません。
それだけ書くとラクリンは音の荒いイメージがありますが実は全く逆で、本来持っている音は実に柔らかく深い、むしろ丸い音です。なのでピアニッシモの表現などは右手も左手も実にやわらかくかつ繊細。特にあの右手は本当に見事で、音をつぶさずにあそこまでのパワーを引き出したかと思えば、透き通るような音を奏で、お手本のようなボウイングです。
またそのフォルテとピアノの変幻ぶりもすごいですね。ヴェンゲーロフなども非常に力強く輝かしい音色の持ち主ですが、その音色はピアノからフォルテまで一貫していて、どこをとってもヴェンゲーロフの音がします。
でもラクリンの場合はピアノとフォルテの部分を別々に聴いたらそれを同じ奏者が演奏しているとは誰も思わないでしょう。それぐらい表現と音に幅があるのです。
表現に非常に幅があって、とんでもないパワーと荒々しさがあり、でも音は丸く決してつぶれていない、というとあのロビー・ラカトシュに通じるものがありますね。
またラクリンの良いところは、そのサービス精神。普通、コンサートのメインの曲を弾いてへとへとになった後に、アンコールでロンカプを弾きますか? なんとアンコールはラクリンの十八番であるサンサーンスの序奏とロンドカプリチオーソ。
でまたこのロンカプが凄かった。もはや変幻自在を通り越し、ジュリアン・ラクリン作曲の「序奏とロンドカプリチオーソ」。ロンカプを自分で作曲しなおしたんじゃないかというほど自由な演奏は、ラクリンワールドそのものでした。
楽譜から読み取ったメッセージに忠実に従って演奏するという、クラシック本来のスタイルとは違うような気もしましたが、ラクリンが読み取ったメッセージがそれなのかもしれません(笑)。でもあれは生で聴いたら鳥肌が立ちますね。
先日はヴェンゲーロフ、今回はラクリンと非常に刺激的なヴァイオリニストが続きましたが、共通しているのは右手の見事さ。そのほとばしる情熱を音楽性を音に出来るというのは、右手のコントロールあってこそですね。ラクリンはもちろん、ヴェンゲーロフも一見適当に弾いているように見えますが、その右手は実に模範的なボウイングです。
ヴェンゲーロフもラクリンも凄いなと思う反面、自分とは遠いなと感じてしまいます(笑)。どうやったらあんな音が出るんだろう、どうやったらあんなに高ぶることが出来るんだろう、そしてどうやったらその勢いで崩壊せずに弾ききってしまうことが出来るようになるんだろう、と。
もちろんあんな風になるのは無理ですが、彼らの演奏を観ることで刺激になって、自分に足りないそういうテイストが少しでも生まれたらな、と思います。
今回の二つのコンサート、どちらもDVD化されないかなと期待しています。
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